初代ニャンコ 保護猫
ミミが行くへ不明になって数年
生後35日目に、福岡から飛んできてくれた、
二代目ニャンコあーたんとの19年5ヶ月。
後悔
- 人前で呼びにくい命名
- 歯周病をうつしてしまった
- 貝類を食べさせた
母の入院補佐の為、帰省中
母がブリーダーとしてお付き合い中の業者さんから、
アメショーの女の子をお世話してもらうことになりました。
帰京する日に、空港で受け取りの予定でしたが、
手違いで一便前の飛行機で旅立っていました。
(手違い…ほんとか?(^^;)
初対面の印象は「生まれた時は、こんなお色なんだ」
(大きくなったらシルバーになるのね…と(^^ゞ)
当時まだ珍しかったアメショーのカラーは
シルバータビーだけだと思っていた私。
と言うか、世間でもシルバーしか認知されてませんでした。
更に実家で
ヨークシャーテリアの出産育児を経験し、
生後カラーが変わる事が不思議だとは
思わなかったからでも有ります。
空港から自宅までの40分は、
タクシーの中で啼きっぱなし。
帰宅後は、車中での口数の多さが嘘のように、
19年半の生涯ほとんどが
サイレントニャーのおとなしい子でした。
ほとんど”あー”としか啼かなかったのが、
あーたんと言う名前の由来ですが、
人前で呼びにくい名前で、
以来、人に聞かれて恥ずかしくない命名を心がけています(^^;
生後35日は、
親離れさせるには早すぎますが、
一番可愛い時期でもあります。
後日届いた血統書にCollarがBrown Tabby と記載され、
書籍でアメショーのカラーは数十種ある事を知ったのは
「この子がいれば、何にもいらない」
と思うほど魅了されてしまった後でした。
でも、嵌められた感は否めません(^^;
(当時、超・マイナーなカラー)
余談
その本でと言うカラーを知り、以来ズ~ット憧れています。
以前ネット上でお一人だけブリーダーさんと思われる方がいらしたのですが、最近お見掛けしないのがとても残念です。
初代ニャンコを私の不勉強で不幸にしてしまったので、
今回は先の本のほかにも、
月刊誌「猫の手帖」(現在休刊中)で
随分勉強させて貰いましたし、
「猫のイレブン・トリック」で、
更ににゃんことの生活の楽しみ方も知りました。
のちに水洗トイレトレーニングに挑戦しようと思ったのも、
多分、イレブントリックを読んでいたお陰です
以来、超・超・インドア派となり、
対人関係は仕事関係のみで、
隙あらば引籠り(^^;
それは今日に至るまで変わる事は無いのでした。
(お陰でストレスとは無縁の人生です)
ワクチン後
万一の場合、迷子にならないように、
夜ごと近くの公園迄お散歩
…と言っても結局最後迄、
1mも歩きませんでしたけど。
溺愛過剰の自覚があったので、
ペットロスを心配し、
この子の子供を…と、
2度ほど交配を試みますが、
お相手を寄せ付けることすらなかったようです。
ワンコの交配と違って、
ニャンコの場合、
自家繁殖でないと難しいらしいとか。
諦めて避妊手術をしたのが2歳過ぎ、
その時の血液検査で
「腎機能が弱い」と知り生涯「療法食」でした。
転居
- 5歳になった頃、希望した物件がペット可住居では無かったので不動産屋さんを通して水洗トイレ使用時のビデオを渡し「敷金を二倍お預けします。臭いは付きませんし、爪とぎでお部屋を傷つける事もありませんから」とOKを頂いたのが現在居住中の3Fの2K
- 二の轍を踏まぬように、引越当日から人の出入りが収まる迄の三日間、獣医さんに預かって頂きました。
- 転居前は、ベランダへのペットドアを付けていましたが、5歳になるとすっかり落ち着いて出入りする事が無くなっていたので今回は付けませんでした。
引越し業者さんは、
他社の見積額を見てびっくり(@@;)
前回の天草引越センターさんに
再度お願いしました。
前回が10年近く前だったので、
何も言わなかったのに
「2度目ですから」
って割引してくれました。
その上2トン車の依頼に、
たまたま2トンのロングで来てくれ、
なんといっぱいいっぱい
…でも金額は見積もり通り…
とても良心的で私的には、超・お勧めです(*^^)v
肝の据わったあーたんは、
初めての帰省から
7~8匹のワンコの出迎えに怯むこともなく、
赤ちゃんワンコの襲来にも落ち着いた物でした。
反省
母直伝の悪癖ですが、幼少期、食の細かったあーたんに咀嚼した貝柱を与えた為、若くして歯石が付きやすく、10歳未満で牙が抜けてしまいました。
幸い18歳までは獣医さんにお世話になるのは毎年のワクチンのみでしたが、19歳を過ぎた頃、大好物の貝柱にあたってから急激に体力が落ち
、時々激しく嘔吐するになりました。
あれだけ勉強して注意してたのに、咀嚼した貝柱を与える事の怖さに気づかなかった私。
貝柱はギリセーフらしいけれど、
やっぱり生ものは良くなかった気がします。
それさえ無かったら、
もっともっと長生きして呉れた筈なのに
…ごめんね。
半年近く掛けて心の準備をさせて貰ったので、
心配したほどのショックありませんでした。
しかし、送り出した時に号泣して以来、
今日にいたる迄 涙を流す事が出来ないのは、
一生分泣き尽くしたという事でしょうか?